東京地方裁判所 昭和40年(特わ)555号 判決 1969年6月14日
主文
1、被告人石井暁子、同蓼沼芳子、同金井まさ江を夫々罰金一万円に処する。
2、右各罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置する。
3、被告人ら三名に対し、何れも公職選挙法第二五二条第一項に定める選挙権及び被選挙権を有しない旨の規定を適用しない。
4、訴訟費用の負担<省略>
理由
(罪となるべき事実)
被告人ら三名は、何れも、総理府事務官として、東京都新宿区若松町九五番地所在の総理府統計局(以下「統計局」と略称)に勤務し、被告人石井暁子は同局製表部受託製表課第五係に、被告人蓼沼芳子は同局製表部経済製表課家計調査換算第三係に、また被告人金井まさ江は同局製表部入口製表課職産符号第二係に夫々所属する一般職の国家公務員であり、夫々、昭和四〇年七月当時組合員約四〇〇名を有した統計局職員組合に所属したものであるが、被告人ら三名は、夫々、昭和四〇年七月八日公示に基づき同年同月二三日施行の東京都議会議員選挙に際し、別紙一覧表(一)及び(二)記載の日本社会党から立候補した加藤清政ほか五六名、日本共産党から立候補した近藤信之ほか三五名の当選を得しめる目的で、その選挙活動の期間中である昭和四〇年七月九日、前記統計局構内において、公職選挙法第一四二条の禁止を免れる行為として
第一、被告人石井暁子は、右同日午前八時五〇分ごろから同日午前九時七分ごろ迄の間、前記統計局西門内側附近において、単独若しくは右統計局職員組合の書記で国家公務員たる資格を有しない山下宣子と共謀のうえ、縦約一八センチメートル、横約二五センチメートルの藁半紙を半載にした用紙の表面に、縦書二行に「都議選いよいよ始まる」「=我々の真の代表を選ぼう=」と比較的大きな文字で表題を付し、さらに行を改めて、「参議院選挙が終り都議選も昨8日告示され開始された。今回の都議選は長い間隠されていた自民党議員の汚職が、都民の前に明るみに出され、“自民党都政はもう許せない”という激しい都民の怒りの中で、都議会解散を勝ちとつた選挙です。参選における自民党の完敗は都民がこうした都議会における汚職、腐敗の政治に対してきびしい判断を下した結果なのです。高物価、重税、交通地獄、水ききんと毎日悩まされているのはこの悪政の結果です。住み良い明るい東京都にする為に重要な選挙です、我々の代表を一人でも多く出す様みんなで一人の棄権者もなく23日は投票しましよう。組合としては大会の政治活動の自由、政党支持の自由の原則の上に立つて先の中央執行委員会で社、共両党支持を決定し、都議選において次の候補者を推せんいたしましたのでお知らせいたします。」と、一一行に亘り、比較的小文字で記載し、さらにその余白(表面の紙面の約半分弱)及びこれに続けてその裏面の約三分の一弱を費し、上、下二段に枠組をして、その各枠内をさらに横に三段に分ち、各々上から選挙区、社会党所属の同選挙立候補者氏名、共産党所属の同様立候補者氏名(記載上は単に社会党、共産党と表示)と区分をした欄内に、社会党については千代田区ほか二三の特別区、北多摩郡ほか二郡、八王子市ほか八市に亘る前記一覧表(一)記載のその立候補者の全員、共産党については右選挙区のほか伊豆七島を含めた各選挙区に亘る右一覧表(二)記載の殆んどの立候補者(新宿区において立候補した共産党の戸原駿二のみを除く全員)の氏名を表示(なお、社会党については岸本千代子を岩本千代子と、右井ひろしを石井博と、田中あきらを田中晃と、共産党については大野みつるを大野三留と、やすだふじおを保田富士夫と夫々表示)し、これに引き続いて、右裏面の余白に原水禁大会についての日程、原水禁問答、ソフト寄席の案内等を記載し、その裏面左下隅に統計職組宣教ニュースNo.一五〇なる記載のあるビラ一一枚を折柄登庁中の同局職員高橋史朗、岡田健司(以上被告人のみの単独犯行)、若槻導雄、小田桐晴美(現在藤原姓)、増田注、岩田亨爾、福忠親、梶田やう子(情を知らない右福忠親を介して配布)、升水克江、山岸恒子、鈴木トミ(以上山下宣子と共謀)に対し、夫々一枚宛配布し、
第二、被告人蓼沼芳子は、右同日午前九時ごろから同日午前九時八分ごろ迄の間、右統計局北側の仮門内側附近において、右統計職組宣教ニュースNO.一五〇、六枚を折柄登庁中の同局職員島野誠、矢嶋謙一、多田好男、日比定利、時田政之筒井成子に対し、夫々一枚宛配布し、
第三、被告人金井まさ江は、前記統計局勤務の職員で右組合所属の氏名不詳の組合員二名位と共謀のうえ、同日午前八時四五分ごろから同日午前九時一〇ごろまでの間、右統計局南側の裏門内側附近において、右統計職組宣教ニュースNO.一五〇、一四枚を、折柄登庁中の同局職員須永梅吉、沓掛文代、築城昌代、中林敏子、石川宇多代、竹田貞子、小林允江、小林智恵子、古畑富久、荒井昌彦、荒井好子(現在西村姓)、鈴木美貴子、山田恵美、阿部初子に対し、夫々一枚宛配布しもつてこれを頒布するとともに、政治的目的を有する右のような統計局職員組合発行名義の文書を夫々配布することによつて人事院規則で定める政治的行為をしたものである。
(証拠)<省略>
(法令の適用)<省略>
(公訴事実について)
本件の公訴事実は、被告人ら三名が、各単独ではなく、山下宣子ほか数名と共謀のうえ、判示日時ころ、統計局西門、仮門、裏門において、判示のような犯意のもとに、判示宣教ニュースNO.一五〇、三三枚を、裏門における判示須永梅吉ほか一三名に対する配布、西門における判示高橋史朗ほか一〇名に対する配布及び仮門における判示島野誠ほか五名に対する配布以外に、西門においては岩佐春美に対しても、仮門においては森方子に対しても夫々配布し、要するにその全体を被告人ら三名が山下宣子ほか数名と共謀のうえでしたとするものである。
しかし、前掲証拠、ことに証人柴田文子、同小島ヤイ、同矢島俊良の各当公判廷における供述によれば、統計局職員組合においては、従前から、朝ビラと称して、統計職組宣教ニュースを同局の西門、仮門、裏門において登庁者に対しそれが組合員であると非組合員であるとを問わず無差別に配付して来ており、これが配布されるに至るまでの実際の経過は、組合の宣教部担当者が、大体において、配付の日の前日、組合大会もしくは中央執行委員会の決定事項または各支部において問題となつている事項等を盛りこんだ文案を作成したうえ、これによつて謄写版用原紙を切り、これを謄写版にかけて一、八〇〇枚位を刷り上げるのが通例であり、これが刷り上がるのは前日の夜であることが多かつたこと、そして、これの配布は、各門を通過して登庁する者の数の多寡に応じ、表門(本件犯行当時は仮門)は二名、西門は二名、裏門は三名で配付することに定められており、仮門の二名は経済製表課支部が、西門の二名は受託製表課支部が、裏門の三名は人口製表課支部が、それぞれ教宣部の要請に応じて配布要員を出すことになつていた(ただし、西門の二名については、中央執行委員が一名入ることになつており、受託支部から出す要員は一名だけであつた)こと、教宣部からの各支部に対する要員供出の要請は配付の日の前日の午後三時頃迄に、大体において教宣ニュースの内容決定前になされることが多かつたこと、配布を担当することになつた各支部の要員は、配布当日の午前八時四〇分頃迄に登庁し、出勤簿に捺印し事務服に着換えた後組合事務所に行き、事務所内に各門別に分けて用意してある枚数の教宣ニュースを持つて担当の門に行き(各門の配付要員は二名以上であるから、実際問題としては先着者がこの役目を果し、後着者は各門において頒布に加わることとなる。)、その門内において登庁者に対し配付したこと、本件で問題となつている教宣ニュースNO.一五〇は、昭和四〇年七月二日に開催された中央執行委員会の社、共両党全候補者推せんの決定に基づき作成されたものであるが、具体的には、配付の日の前日の昭和四〇年七月八日夕刻教宣部員の柴田文子が矢島委員長の指示を受けてその文案を作成し、組合書記の山下宣子が謄写版用原紙を切り、右柴田及び山下の両名が同日夜のうちに一、八〇〇枚位刷り上げ、各門別に分けて組合事務所内の机上に置いたものであり、本件被告人らは、七月八日、教宣部から要請があつたことの結果として翌九日朝所属支部担当の門で教宣ニュースを配付する当番者となり、九日朝早目に登庁して担当の各門で教宣ニュースNO.一五〇を配布したものであることを認めることができるが、右以上に、本件被告人らが前日の八日に右教宣ニュースの配付について他の者と共に一堂に会してその相談をしたとかということは全くその証拠のないことであるのみならず、配付当日の行動としても、配付前に一同に会してその相談をしたなどという事実の認め難いことはもちろんのこと、組合事務所から担当の各門迄右教宣ニュースを運んだのが被告人らであるということも、その他被告人らが配布当日の朝担当の各門に到着する以前から右教宣ニュースの内容を了知していたということも、すべてその証明がないことに帰し、以上の事実関係の下においては、本件各被告人が、判示七月九日の朝、各自が担当した門以外の二門においても同一内容の教宣ニュースが担当者によつて同時に配布されていることは、従前の慣行から推して当然に予測できたことであるというべきであるが、それだからといつて、他の二門における他の者による配布についてまでもこれを共謀した者として責任を負うべきであるということは、到底容認できることではなく、結局のところ、判示のとおり、各被告人は、その担当の門において判示教宣ニュースNO.一五〇を手にした時にその内容及び意義を了知し、当該の門に他の配布要員がいてこれと共に配付した場合はその者と共犯として、然らざる場合は単独で、犯行に及んだものと認定すべき場合である。
而して、前記岩佐春美は、被告人石井が西門において配布を開始する以前に同被告人以外の一女性から、また前記森方子は、被告人蓼沼が仮門において配付を開始する以前に同被告人以外の一女性から、夫々配布を受けた疑いを証拠上残すものであり、被告人石井または同蓼沼において右各一名に対する配付について責任を負うべき限りではないといわなければならない。
しかし、公訴事実のうち当裁判所において有罪の認定をしなかつた部分は、包括一罪の一部として起訴されたものであるから、これにつき、主文において無罪の言渡はしない。
(弁護人らの主張に対する判断)
第一弁護人高橋融は、公職選挙法違反の点について、本件教宣ニュースNO.一五〇の頒付は、統計局職員組合が、その中央執行委員会において決定した社共両党全候補者推せんのことを組合員に知らせるため、従来から行なつて来た通例の方法によりこれを伝達しただけのことであつて、組合の正当な内部的選挙活動に属することであるから、適法な行為であり、無罪である、かりに然らずとするも、被告人らには公職選挙法第一四二条の禁止を免れる行為としてこれをする認識のなかつたことはもちろんのこと、違法の認識もなかつたから無罪であると主張するので、この点について考えてみるに、証拠によれば、統計職員組合においては、古くは機関誌として月一回定期刊行の「統計職組」というものを発行していたが、所属組合員数の減少に伴う財政難のこともあつて、次第にその発行が不定期になり、これに代るものとして、毎年の定期大会からその翌年の定期大会迄の間を一週期として一連番号をつけて発行する教宣ニュースというものを発行し、朝ビラと称して、各門で、登庁者に対しそれが組合員であると否とを問わず無差別に配付して来たこと、そして本件で問題になつている教宣ニュースNO.一五〇がそれらと同一形式のものであり、同一の方法で配付されたことを認めることができるから、右NO.一五〇の配布が職員組合としては通例の意思表示の方法によつたものであることは否定できないが、教宣ニュースを相手が組合員であると否とを問わず無差別に配布した理由が、職員組合の主張を組合員でない者にも伝えて、その支持を獲得し、ひいては職員組合の勢力を伸張しようとの意図に出ていることは明白であり、実際問題としても、本件が発生した昭和四〇年七月当時に例をとつてみても、職員組合の組合員数が約四〇〇名であつたのに対し、教宣ニュースはその都度一、八〇〇枚位印刷され、その大部分を配布し終るのが例であつたことにかんがみると、組合員でない者に対する宣伝の意味の方がむしろ強かつたとみられるくらいであつて、それの配布が通例の方法であるとはいつても、組合員のみに対するものではなく、組合員及び組合員でない者の双方に対する意思表示の通例の方法であつたことは否定でぎず、教宣ニュースNO.一五〇は、その配付の時期、配付の相手方、体裁、内容等を勘案して考察すれば、組合員及び組合員でない者の双方に対し、それらの者に対する従前からの意思表示の方法である教宣ニュースの形式をとり、内容的には中央執行委員会の決定の伝達と表示し、これに記載された社、共両党の候補者に投票方を暗に依頼、慫慂する文書としての任務を持たせた文書であると認めるのが相当であり、被告人らはその内容、意義を理解しながらこれが配布の任にあたつたと認められるのであるから、これが選挙活動であるとしても組合に容認されている組合内部の活動にすぎないとする所論はもちろんのこと、その余の主張も容れることはできない。
第二弁護人ら、とりわけ隅野隆徳特別弁護人は、本件教宣ニュースNO.一五〇の頒布行為は、憲法第二一条の保障する表現の自由に属する行為として民主主義国家においては国政上最高度の保障がなされるべきものであるから、これを一般的に禁止するとともにその違反行為に対し刑罰を課することを規定した公職選挙法第一四六条第一項、第二四三条第五号の各規定は憲法第二一条に違反する無効な規定であるといい、その理由として、公職選挙法第一四二条、第一四六条第一項等の規定は、終戦直後の物資の欠乏を原因として立法されたものであるが、現在においてはその前提条件が消失してしまつていること、現行法の許容する文書、図画の頒布または掲示程度では、候補者及び政党の政策、見解を有権者に十分に伝えることができず、有権者は限られた情報を受け取るだけの受動的立場を強いられ、能動的に選挙に参加できない弊害があること、民意を暢達に国政に反映させることを妨げるもので、国民主権の原理に反すること、規制の仕方自体並びに違反行為に対する現実の取締、運用が政府与党に有利に、革新政党に不利であること、文書活動の規制は、買収、饗応、選挙の自由妨害等実質犯を逆に誘発し、かえつて選挙の腐敗を招来していること、議会制民主主義をとる先進資本主義諸国においては、選挙運動取締の重点はいわゆる実質犯におかれ、言論文書による選挙活動は最大限に保障されていること等を挙げる。
よつて、考えてみるに、我国のように議会制民主主議を採る国において、表現の自由、とくにその中でも言論、文書による選挙活動の自由が重要なものであることはいうまでもないところである。従つて、これが絶対的なものではなく、公共の福祉の観点から制約される場合のあることは憲法第一三条の規定するところであるとしても、その制約が合理的な理由に基づく必要最少限度のものでなければならないことは当然である。
公職選挙法第一四二条及び第一四六条は、公職の選挙につき文書図画の無制限の頒布等を許すときは、選挙運動に不当な競争を招き、そのために選挙の自由公正を害し、その適正公平を保障できないことになるので、この弊害を防止するために設けられた規定であるが、法定外文書の頒布を原則として禁止するという立場をとつているため、この規制の仕方が合理的で必要最少限度のものであるか否かが問題となるわけである。
よつて、この点について、文書活動を無制限に放任した場合の利害得失と現行公職選挙法のような立場をとつた場合の利害得失との比較衡量という見地から検討してみるに、テレビ、電話等の普及の著しい現代社会において、選挙用の文書の頒布が有権者等に及ぼす影響、効果が従前のとおりであるかどうかについては、疑問をさしはさむ余地がないではないが、この点はしばらくおき、文書の頒布が自由であればあるほど当該立候補者の氏名、人物、政策等を人に知らせる効果のあがることは、一応是認できることであるとしても、その反面、必要以上の競争を招いて多額の出費を要することなり、資金のある者でなければ立候補することができなくなるとか資金のある者程有利になるとかの弊害、さらにはとくに選挙運動期間中他候補者を非難中傷する内容の署名もしくは無署名の文書が横行し、他候補者に対し回復することができないような損害を与える弊害を生ずることは、容易に考えられることであつてこれらの弊害は到底軽視することを許さない程度のものといわざるを得ない。そして現行公職選挙法によつても、文書活動が全く禁止されているわけではなく、第一四二条による選挙用はがき、第一四三条、第一四四条等によるポスターの掲示等のほか、第一四八条による新聞雑誌の報道、評論、第一四九条による新聞広告等の活動をすることができ、立候補者の人物、政見等を有権者に伝達する方法が一応は用意されていること、なお第一四六条に限つてこれをいえば、同条による制限は選挙運動期間中だけの制限であること、公務員個人としても、たとえば知人等に対し電話でまたは戸別訪問にはあたらないような相対の方法で特定の政党または特定の候補者のために投票を依頼することが、また公務員の組合のこととしても、内部的に特定の候補者を推せんすることを決定し、これを組合内部の者に限り通常の方法によつて伝達すること自体は容認されていることであること、弁護人所論のように逆に買収等の実質犯を誘発する弊害のあることが実証されているわけではないこと、実際の取締面における不公平な取扱いはないことではないとしても、それが文書活動の規制そのものを無意味に帰せしめる程度に顕著なものであることも実証されているわけではないこと等諸般の事情を考え合わせてみると、公職選挙法第一四二条、第一四六条第一項による文書の頒布の規制は、これを規制することにつき合理的な理由があるというに妨げはなく、その規制に違反する者に対し同法第二四三条第五号をもつて刑罰の制裁を科することとしていることをも含めて、その規制の仕方が必要最少限度の範囲を超えているということも、にわかには首肯できないことであるというべきである。
以上の次第で、公職選挙法第一四二条、第一四六条第一項の規定が憲法第二一条に違反し無効であるとの所論は、その理由がないものとして、これを採らない。
第三弁護人ら、とりわけ倉内節子弁護人は、国家公務員法違反の点について、凡そ次のように主張する。
(一) 現行国家公務員法(以下国公法と略称する。)第一〇二条及び第一一〇条は、昭和二三年一二月三日法律第二二二号をもつて全面的に改正され今日に至つているが、右法律第二二二号による改正は、当時連合軍総司令部からの原案を示してのこれを変更することなく改正すべしとの強い要請により、国会がこれを修正する自由を有しない状態の下において改正されたものであるから、右改正は、主権が国民にあることを宣言した憲法の前文及び国会が国の最高機関であり国の唯一の立法機関であるとする憲法第四一条に違反し、無効である。
(二) 表現の自由、とくに政治活動の自由は市民に固有な権利であり、民主的な政治過程を基礎づける最も根本的、不可欠な自由であり、とくに労働組合のそれは憲法第二一条のみならず、第二八条によつても保障されているところであり、かりに制約を受けることがあるとしても、憲法第一三条にいわゆる比例の原則の適用を受け、その制約を支えるに足りる社会的事実が存在しなければならず、制約は必要最少限度にとどめらるべきものである、然るに国公法第一〇二条、人事院規則一四―七の定める制限は余りにも包括的、全面的、一律的であり、この立法を支える社会的事実もなく、むしろ国家公務員をもの言わぬ下僕にしようとの不法な意図が看取され、憲法第二一条、第二八条、第一三条、第一四条に違反する無効な規定である、
(三) 国公法第一一〇条第一項第一九号は、第一〇二条の定める制限に違反した者に対し、三年以下の懲役または一〇万円以下の罰金という刑を定めているが、右法定刑は職権濫用罪、収賄罪、公職選挙法上の地位利用の選挙運動をした罪等他の公務員犯罪の法定刑と比較しても異常に重く、到底適正な刑罰といえないこと、国公法とほぼ同様な政治的行為の制限を規定している地方公務員法第三六条には刑罰の制裁がないこと、公務員が政治的行為をしたことに対し刑罰を科する立法は外国にもその例がなく、I・L・O第一〇五号条約第一条(A)号の趣旨にも反すること、より制限的でない実行可能な他の選ぶべき手段があること、すべての違反者に対し一律的に同じ刑罰を科することになつているのは不当であること、国公法第一〇二条の委任を受けた人事院規則一四―七の規定は構成要件的に非常に不明確であること等の理由により、憲法第三一条に違反する無効な罰則規定である、
(四) 法律が法律をもつて規定すべき事項を政令、規則等に包括的に委任することは、憲法第四一条、第七三条第六項但書の解釈上許されないところであるが、国公法第一〇二条は、同法自身が規定すべき政治的行為の範囲を定めることを人事院に白紙委任したに等しいものであるから、違憲、無効な規定である、
(五) かりに法令の合憲的解釈の原則の適用により、国公法第一〇二条、第一一〇条第一項第一九号、人事院規則一四―七が合憲的に適用される場合があるとしても、本件被告人らは、いずれも、非管理職の現業公務員で、その職務内容は裁量の余地の全くない機械的労務の提供に止まる者であり、勤務時間外にその職務を利用することなく、かつ公正を害する意図なくして、政治活動をした場合であるから、これに対し前記各法条、規則を適用することは、その合憲的範囲内の適用とはいえない、
(六) 本件被告人らの所為は、公務員の労働組合がその目的を十分に達成するための手段として特定の候補者を推せんするという機関決定事項を通常の方法により伝達したものにほかならず、労働組合が本来正当に為すことができる行為の範囲に属し、結果的にも、国民に対するサービスを害した事実もないのであるから、実質的違法性を欠き、刑法第三五条により処罰することができないものであると。
よつて考えてみるに、昭和二三年法律第二二二号による国公法の改正及び人事院規則一四―七の制定経過が所論のとおりの経緯によるものであつても、当時の我国は占領下にあり、連合軍最高司令官の要求は憲法にかかわりなくその効力を有したものであつて、その要求によつて法律として成立したものではあつても、国会において法律として形式的に成立したことは否定できない事実であり、講和条約発効後これを改廃することができる立場にある国会がこれを改廃しなかつたことの結果として、現在においても法律としての形式的効力を有することも否定できないことであるから、裁判所としてもその形式的効力を云々することができる筋合ではなく、その内容に憲法に適合しない点があるか否かを判定できるにとどまるものというべきである。
よつて進んで、弁護人らのその余の主張について考えてみるに、
一 一般職である国家公務員(以下単に公務員と略称する。)の政治活動規制の根拠となつている国公法第一〇二条第一項は「職員は、政党又は政治的目的のために寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法を以てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。」というのであり、これを受けた人事院規則として昭和二四年九月一九日人事院規則一四―七「政治的行為」があり、罰則として、国公法第一一〇条第一項第一九号が「第一〇二条第一項に規定する政治的行為の制限に違反した者」を三年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金に処すると定めている関係にある。
そして、公務員の政治活動を規制処罰するこれらの規定は、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」とする憲法第一五条第二項の規定にその根拠を有するものとされている(昭和三三年三月一二日大法廷判決、最高裁刑事判例集第一二巻第三号参照)。
二 他方、労働組合については、労働組合は、一段的には、対使用者との関係においてその経済的地位の向上を図るものであるが、現実の政治、経済、社会機構の下においては、対使用者との交渉にこれを求めるだけでは十分でないため、その目的をより十分に達成するための手段として、その目的達成に必要な政治活動や社会活動を行うことを妨げられるものではなく、地方議会議員の選挙にあたり、その利益代表を議会に送りこむための選挙活動をすることもできることは、私企業の労働組合の行動について結論を出すための前提としてではあるが、最高裁判所によつても是認されていることである(昭和四三年一二月四日大法廷判決、判例時報五三七号参照)。
三 国家公務員は、その自由な意思に基づく承諾によつて国との間に雇傭関係を持つようになつた者ではあるが、国家公務員としての生活のほかに一市民としての生活を有し、一市民としてその生活利益を追及することができなければならない。これを選挙に即していえば、自分の利益に合致する候補者を当選させることについて利害関係を有するものとしなければならない。
本件の場合、被告人らは国家公務員であり、その労働条件等は、法律等により国との関係において定められているのに対し、問題となつた選挙は東京都議会議員選挙であるから、これに対しては、いずれかといえば、国家公務員の組合としてよりも、一市民としての立場において有する利害関係の方が大きいと考えられるが、組合といつても、その構成員の一部に東京都以外の居住者もないではないにしても、その大部分の構成員が前記選挙に利害関係のある市民、すなわち都民である集団には違いないし、集団は集団として都政に対し共通の利害を有することが考えられるほか、独自の有効な選挙活動の手段、方法を有することも考えられるのであるから、国家公務員の組合員であるからといつて前記選挙について組合が選挙活動をする利益を有することは否定できない。国公法第一〇八条の五がその第一項において「職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関し、及びこれに付帯して、社交的又は厚生的活動を含む適法な活動に係る事項に関し」と規定することも、右のように解することについて妨げとなるものとはいえない。
しかし、私企業の組合について容認される選挙活動であつても、それが国家公務員又はその組合についても容認されることであるか否かは、さらに別途に検討を要する問題である。
四 表現の自由のなかでも選挙活動の自由が最も尊重されなければならず、公共の福祉のためにこれを制約するについては、それだけの合理的な理由があることを要しかつ必要最少限度の制約にとどむべきことは、先に公職選挙法違反に関連して述べたとおりであり、当裁判所としては、具体的には、問題とされている行動を放任した場合の利益及び弊害とこれを禁止した場合の利益及び弊害との比較衡量の上においてこれを決すべきものと考えるが、具体的な本件の場合は、ひとしく憲法の条文である憲法第二一条と同第一五条第二項との関係として問題が提起されているわけであるから、この点を加えて検討することとなる。
五 憲法第一五条第二項の前段にいう「全体の奉仕者」の意義について、いろいろな論議のあることは、周知のとおりであるが、それはとも角として、その後段の「一部の奉仕者ではない」という規定が、なんらの意味もない規定ではなく、少くとも、これが公務員の中立性を宣したものであり、一党一派の奉仕者であつてはならないという意味を有していることは否定できない。そして、どのような行為が一党一派の奉仕者である行為にあたるかと考えた場合、公務員がその職務を執行するにあたつて、一党一派のために、その地位、権限を利用して、法律その他によつて定められている基準を超えてその利益をはかること及び政治活動としては、公務員として特定の政党または特定の候補者のために選挙活動をすることが、その代表的なものとしてこれにあたることは恐らく異論のないところであると考える。
六 本件で具体的に問題になつているのは、特定の政党または特定の候補者のための選挙活動であり、それ自体が公務員の中立性に反する行為であることは肯認されるとしても、それが刑罰の制裁をもつてまで規制されなければならない違法な行為であるか否かはさらに検討を要するものがある。そして、この点については、具体的な本件の行為は、他面においてそれが公職選挙法違反にあたるか否かの問題を含むため、これを放任または禁止した各場合の公職選挙法の観点からみた利害得失として前述したところは、公務員の中立性の観点から問題を考える場合においても、これを考慮に入れるべきはもちろんであるが、とくに公務員の中立性という観点からして、国家公務員が前記のような選挙活動をすることによつて、どのような法益が侵害され、どのような弊害を生ずるかを考えてみるに、
(1) しばしば説かれるように、国家公務員が選挙活動をすることがひいては行政の継続性、安定性、能率性を阻害するに至るということが考えられる。これは、政党内閣の下においては、特定の政党または特定の候補者のために選挙活動等をした公務員は、内閣が交代した場合退官、更迭を要求されることとなり、それによつてその公務員が担当した行政が中断あるいは能率を害せられ、国民の側に迷惑を及ぼすとともにその公務員自身のためにも不利益となるとの考えに出るものであり、終戦後の我国の政治情勢に即して考えれば、現実性に乏しい感がしないではないが、しかし首肯できる弊害ではある。そして、この観点から問題を考えるとすれば、権限の大きいものであればある程時の政府当局者から問題とされる可能性が大きいことが考えられるから、いずれかといえば、上級の公務員の問題であるが、しかし現実に行なわれた選挙活動等の内容、程度にもよることであるから、下級の公務員についても問題となる可能性のないことではない。
しかし、右のとおりの弊害であり、公務員の保護という考慮も働らいているものとすれば、そのような選挙活動等をした者に対し、懲戒的処分のほかに刑罰の制裁を科することは、合理的な理由に乏しいといわなければならない。
(2) 次に考えられることは、前記のような選挙活動をする公務員につき、その公務員が具体的に職務を執務する際に特定の政党の利益をはかつて不公正な取扱いをすることを結び付けて考える考え方である。この考え方を採るとしても、当該の選挙活動が特異な内容のものである場合は別として、それが文書の配付あるいは車上からの連呼等の通常の活動にとどまる限りは、客観的な問題としては、そのような選挙活動をした公務員だからといつてその者が実際に職務を執行するにあたつて不公正で差別的な扱い、処理をするにきまつているということは、直ちには結論できることではなく、むしろ相当ではないと考えられるが、この場合でも、客観的な問題としては右のとおりであつても、一般の国民が当該の公務員に対しどのような印象、感情を持つかということは別問題として残ることである。
しかし、右の点はいずれであるにしても、この選挙活動に職務上の不公平で差別的な扱いをすることを結び付けて考える立場を採るとすれば、何よりも問題となるのは当該公務員の職務権限であり、裁量権限のある者は一応よしとしても、単なる機械的事務、労務に従事する下級の公務員は原則的には問題にならないことになる。
(3) そこで、次に考えられることは、公務員が前記のような選挙活動をすることは、一般国民に対し、その公務員が勤務する行政官庁が特定の政党とつながりを有するのではないかとの疑惑をもたせ、ひいては当該官庁の行政の公正な運用について一般的に不安、不信を抱かせるということである。本件で問題となつているのはたまたま文書の配付であり、それだけをとつて考えれば、左程重視すべきことではないとの論もあり得るであろうが、選挙活動はひとり文書の配付にとどまるものではなく、いろいろな態様のものがあり得るわけであつて、たとえば公務員が主催して特定の政党、候補者のための公開の演説会を開催することも可能であること、公務員中一の政党の支持者ができることは他の政党の支持者においてもできなければならないこと、全国的にもあらゆる行政官庁の公務員においてできることであること、各種選挙の度にその効果が累積されていくこと等を考え合わせてみると、公務員の選挙活動を放任した場合、そのことが行政官庁の公正な運営について一般的に国民に与える不安、不信感等は、軽視することのできないものがあるといわなければならない。
そして、この観点に立つて問題を考えるとすれば、重要なのは、むしろ当該公務員の勤務する行政官庁全体の性格であつて、個々の公務員の担当職務が、大なり小なりの裁量権限のあるものかそれの全くない機械的事務であるかどうかは重要ではなく、ことに実際に行なわれる選挙活動の内容、程度とも不可分のことであつてみれば、下級の公務員についても、これを考慮の外におくことは、直ちには是認できないことであるとしなければならない(右のことは、もちろん、社会通念として単なる現業的官庁として観念されるものが存在し、これを規制の対象外におくことを否定するものではない。)。
(4) その他、公務員が前記ような選挙活動をすることは、ひいては職務をおろそかにすることになるとの論も考えられないではないが、右の点は、執務時間中においてすることさえなければ一応は解消する問題であろう。
以上の次第で、当裁判所としては、公務員が特定の政党または特定の候補者のために選挙活動をすることを放任した場合に生ずる弊害として考えられるものは一ではないとしても、その中で最も重視すべきものは、一般国民に対し、行政官庁の公正な運営について一般的に不安、不信、疑惑を抱かせるに至ることであり、その弊害を避けるために憲法第一五条第二項の規定による要請として憲法第二一条の保障する表現の自由にある程度の規制を加えることは、合理的な理由のないことではなく、右弊害が軽視できない程度のものであり、公職選挙法違反の点について前述したとおりの、現行法の下においても公務員またはその組合に容認されている選挙活動の程度等をも合わせ考えれば、少くとも、本件についてその適用をみることになる国公法第一〇二条第一項、人事院規則一四―七の第五項第一号及び第六項第一三号中文書の配付に関する規定の程度の規正は必要最少限度の規制に属するものというべく、さらにそれが一般国民にかかわる問題であつて行政官庁の単なる内部事項として処理さるべき事柄ではないことをも考え合わせれば、その違反行為に対し刑罰の制裁をもつてのぞむことも理由のないこととはいえないと考える。
七 具体的な本件についてとくに指摘しなければならないことは、もしも本件被告人らの行為が公職選挙法第一四六条第一項の規定に違反し、同法第二四三条第五号によつて刑罰を科せられるに値いする行為であるとの当裁判所の認定が容認できるものであるとすれば、それは一般国民に対しても公職選挙法上の犯罪とせられる部類の行為であつて、ひとり公務員に対してだけのその範囲の自由を規制することにはならないということである。
八 、上述したところの適用として本件をみてみると、総理府統計局は、要するに、国その他地方公共団体等の施策樹立の基礎となる統計の仕事を管掌するところであつて、一般国民の側がそれに期待するところのものは客観的真実を伝える統計であり、客観性、中立性を要請されている行政官庁であるというに妨げはなく、そこに勤務する公務員が特定の政党または特定の候補者のために選挙活動をすることは、一般国民の側に上述の意味における不安、不信等を抱かせるに足りる官庁である。証拠によれば、本件被告人らはいずれも総理府事務官であり、そのうち被告人石井だけは統計官を命ぜられていたという差異はあるが、実際に担当していた仕事は、集計、検算、換算、符号化等のことであつて、いずれも、細部のことまで規定した事務手続に従い、疑義のあることについては係長その他の上司の判断に依拠し、むしろ機械的に行なわれる性質の事務であつて、裁量権限のあるものとは認められず、判示文書を配付したのは、午前九時一〇分までの時差出勤時間帯及び出勤簿整理時間帯であつて、執務時間中ではなかつたことは認められるが、いずれも出勤簿に出勤の捺印をした後であり、配付の場所は各門の内側、その構内であつたのであるから、被告人らの所属する職員組合の行為としてしたことであつても、合憲的に国公法第一〇二条違反の行為としての評価を受けることを免れないものと考える。
九 各個の主張についてさらに一言するに、
(1) 公務員については、国公法第一〇二条及び人事院規則一四―七の規制の範囲外のなすことができる政治活動はないわけではないにしても、その規制が甚だしく網羅的であることは争えず、とくに規則一四―七の第四項「法又は規則によつて禁止又は制限される職員の政治的行為は、第六項第一六号に定めるものを除いては、職員が勤務時間外において行う場合においても、適用される。」ということの趣旨が、たとえば公務員がその居住地域において、公務員の肩書を使用することなく、完全な一私人としてする政治活動をも全く禁ずる趣旨をも含むものであるとすれば、これをしも規制する合理的理由があるかについては疑問を抱かざるを得ない。しかし、本件被告人らの行為に対し適用されるのは、規則第五項第一号及び第六項第一三号の一部に限られるのであり、この両者の結合より成る行為に関する限りは、憲法第二一条、第二八条、第一三条、第一四条に違反するとはいえない。
(2) 公務員がその政治的行為を規制されることは、公務員の基本的人権にかかわることであるから、本来、法律自体がその中において明確に規定すべき事柄であり、その規定を抱括的に人事院規則に委ねることは、人事院の特殊性格を考慮に入れても望ましいことではなく、むしろ違憲の疑いがあるというべきであるが、この点についても、本件に適用される人事院規則一四―七の第五項第一号及び第六項第一三号中文書配付に関する規定の結合よりなる行為の如きが国公法第一〇二条にいう政治的行為の代表的なものとみられることは、前叙のとおりであり、これが人事院規則をもつて規制されることは国公法第一〇二条自体の当然に予想したことであるということができるから、右各規定に関する限りは、違憲な委任によるものということはできない。
(3) 人事院規則一四―七第五項各号の定める目的及び第六項各号の定める行為のうちには、弁護人所論のとおり、構成要件的に必ずも明確ではないと認められるもの、あるいはその両者の結合よりなる各種行為のうち、それに対し国公法第一一〇条第一項第一九号所定の刑罰を科することが相当であるか否かが疑われるものもなしとはしないが、この点に関しても、本件に適用される規則第五項第一号及び第六項第一三号中文書配付の規定の結合よりなる行為に関する限りは、構成要件の問題としてもなんら明確を欠く点はなく、これが他面においては公職選挙法違反の評価を受け、国家公務員法違反の所為としても違法性のむしろ強いものであること、そして所定刑としては、懲役刑のほかに選択刑として罰金刑があり、懲役刑の下限は一月にまで、罰金刑の下限は罰金等臨時措置法第二条所定の千円にまで至り得るものであること、国公法の改正当時国会によつて刑罰の制裁を必要とするものと認定された社会的事実の消滅したことが裁判所にとつて顕著な事実であるというわけではなく、右は国会の調査認定にまつべきものであると考えられること、その他地方公務員法に刑罰の制裁の定めのないことも決定的理由となるものではないこと等を総合して考えてみると、国公法第一一〇条第一項第一九号が少くとも規則第五項第一号及び第六項第一三号に違反する行為に対し前記のとおりの刑罰を規定したことを目して、憲法第三一条に違反するものということはできない。
(4) その他労働組合の正当な内部的行為であるとする所論のあたらないことは、前記第一において説明したとおりである。
一〇 以上の次第で、国家公務員法違反の点に関する弁護人らの主張は理由がない。
第四公訴棄却の申立に対する判断
被告人ら並びに弁護人駿河哲男、同高橋融、同倉内節子、特別弁護人矢島俊良らは、本件起訴は公訴権を濫用してなされた無効な起訴であるから公訴を棄却すべきであると主張し、凡そ次のように述べる。すなわち、統計局職員組合(以下統計職組と略称する)は、統計局が多くの女性が働く職場であるため、劣悪な労働条件の下で力を寄せ合い、公務員労働者としての権利を守るために闘つて来たものであるが、統計局当局(以下統計当局と略称する)は平素から統計職組の存在を嫌悪し、これを敵視して、夙に矢島俊良委員長(本件の特別弁護人)を免職にしたばかりでなく、組合員、活動家に対し賃金その他の面で差別的扱いをし、職制を使つての組合脱退工作をし、第二組合を利用して統計職組の団結権にまで介入している有様で、統計職組は、矢島委員長の免職処分後組合員数は少数に減少したがそれにもかかわらず公務員労働者の正当な要求を掲げ朝ビラ活動を始めとして地道な組合活動を続けてきていたため、統計当局としては、本件当時、統計職組がいつまた職員全体のものとして結集されるかも知れないことを危惧していた。本件は、本件ビラ、すなわち教宣ニュースが配布された当時統計局総務課において職員係をしていた増田注が所轄牛込警察署に連絡照会したことが事件の発端となつていること、統計当局が当日係長以上の会議を開いて自らビラ集めに狂奔したばかりか、ビラの受配付者が参考人として牛込署に出頭するについては車まで提供していたこと、起訴状にビラの受配付者として掲記されている者の大部分が係長等の役職者あるいは総務、庶務関係の者であること、受配付者が被告人らから配付を受けたというビラは、その大部分が受配付者から一旦統計当局に提出され、当局の手許において混同して、当局から一括して牛込署に提出されたのが真相であるのに、それをあえて各受配付者に任意提出書を作成させ、特定の受配付者が特定のビラを任意に提出した形式を作為するという違法な捜査手続が執られていること、牛込署員がかねて統計局に出入りしていたこと、公訴真実中に「山下宣子他数名と共謀のうえ」と記載しながら、起訴したのは誠実な組合運動家である被告人ら三名のみであつて、山下宣子その他は起訴されないこと、わずかビラ三三枚を配付したということで被告人らを起訴している一方、検察当局は、その規模において比較にならない程大きい自民党所属の塚田前新潟県知事、小林章参議院議員、田中前法務大臣等の公職選挙法違反事件を不起訴処分にしていること等によつてみると、本件は、統計職組の存在を嫌悪している統計当局と民主勢力の前進を恐れ、これを後退させようとする政府の意向を体した警察、検察当局とが緊密な連携の下に、民主勢力の先頭に立つている統計職組を弾圧する意図をもつてした不公平な起訴であるということができ、憲法第一四条第一項、第一五条第二項、第三一条、第九九条、刑事訴訟法第一条、第二四七条、第二四八条、公職選挙法第七条に違反して無効であるから、刑事訴訟法第三三八条第四号により公訴棄却の判決をなすべきであると。
しかし、証拠によれば、統計職組が単に統計局内だけの活動にとどまらず、総理府労働組合連合会の中央執行委員長組合として、また地域的にも新宿区労働組合協議会の副議長組合として、積極的な活動をしていた組合であり、とくに矢島委員長の免職処分後統計当局と何彼と対立する関係にあり、所轄の牛込警察署においてもその活動振りについて注目している組合であつたことは、推察に難くないことであり、本件の発端が当時統計局総務課において職員係をしていた増田注事務官が牛込警察署に公職選挙法違反にあたるか否かについて照会したことにあること、右牛込署が捜査を進めるについて統計局総務課の職員等が何彼と協力したことも証拠上明らかであるが、統計局のように、多数の公務員が働らく職場において、本件教宣ニュースNo.一五〇のような内容の文書が配付された場合、統計当局がそれが許された行為であるか否かを問題として取り上げることは、国公法違反の問題としては、人事院規則一四―七の第八項によつて人事院に対する通知等を義務づけられていることからいつても、また職員の規律の維持の点からいつても、これを不当ということはできず、増田注事務官が所轄牛込署に照会したことも、同事務官の証人としての証言にみられるとおり、同事務官の職責上、当初国公法違反の行為であるか否かについて照会した人事院の担当官が不在であつたため公職選挙法に違反するか否かについて牛込署に照会したものであつてみれば、ことに、虚構の事実を作り上げて通報したというのであればとも角、一応嫌疑をかけるだけの事実があつてのことであつてみれば、これを不当であるということはできない理であり、その後牛込署において違法行為として捜査をして事件を検察庁に送致したこと及び右捜査の過程において統計当局が捜査に協力する態度を執つたことは、むしろ自然の成り行きであつて、これを不当であると非難することは当らず、各受配付者のビラの任意提出書の件も、ビラの特定の点に問題はあるにしろ、各受配付者がその意に反して作成させられた書面でないことは明白であつて、以上のことが本件起訴の効力に影響を及ぼす問題でないことは明らかである。従つて、問題は、結局検察官のした本件公訴の提起が、本来起訴すべきでないものを統計当局及び警察当局と結託して統計職組を弾圧するという不法な政治的意図をもつてあえて起訴したものであるか否かに帰する訳であるが、本件は、起訴されたのは教宣ニュース三三枚の配付行為であるが、被告人らが現職の国家公務員であり、それが公職選挙法違反と同時に国家公務員法違反の双方の嫌疑を受けることであつてみれば、その事案自体が起訴に値いしないこと明確な案件であるとは到底いい難く、山下宣子他数名と共謀のうえとしながら、被告人ら三名を起訴しただけで山下宣子他数名を起訴しないことも、被告人らが組合の役員であるのに対し、山下は国家公務員ではなく組合に雇傭されていた書記であり、他数名は被告人らが黙秘していたことも関係してその氏名すら不詳であつたのであるから、それらの者を起訴しなかつたことはそれなりに理由のないこととはいえない。また塚田前新潟県知事、小林章参議院議員その他の関係する事件の処理について、世上に種々の論議のあつたことは顕著な事実であるが、それらはいずれも本件について公訴の提起がなされた後にその処分が決定されたものであつて、本件とは選挙の種類も異にし、それらの事件の処理が直ちに本件起訴の効力に影響を及ぼすものとも考えられない。また、本件被告人らが起訴されたことの結果として統計職組が組合員の減少その他の打撃を受けたことは、証拠によつて認めることができるが、そのような結果を招来したからといつて、そのことから逆に本件の起訴が統計職組を弾圧しようとの不法な政治的意図のみによつてなされたということは相当ではなく、本件については、検察官が統計当局及び警察当局と結託し前記のとおりの政治的意図をもつて、公訴権を濫用し、本来起訴すべきでないものを起訴したということは、なんらその証拠のないことである。それ故、被告人ら並びに弁護人らの主張はその前提を欠くものとして理由がないことに帰し、これを容れることはできない。
よつて主文のとおり判決する。(上野敏 荒木勝己 古口満)